海洋における微生物の研究は、海の環境や生産性を考える上で欠くことのできない分野です。昨今の分子生物学やゲノム科学の進展に伴う分析技術の飛躍的な進歩によって、海洋に生息する微生物(ウイルス、細菌、原生生物)が、生態系において重要な役割を果たし、自然環境の持続性、地球規模の環境変動、人の健康といった近年注目を集めている問題に深く関わっていること、また未知の遺伝子資源としてはかり知れない可能性をもっていることが次々と明らかになってきました。
私たちの研究室では、海洋微生物の生理生態学的機能と彼らが地球環境の維持に果たす役割を明らかにすることを目的とした研究を行っています。共生や病原性など他の生物との相互作用を通じて進化してきた微生物の多様化のメカニズム、海洋に生息する微生物の多様性と環境との相互作用、物質循環や生態系維持に寄与する微生物代謝機能といった点に主眼を置き、基礎、応用の両面から幅広く研究を行っています。また、大型の学術研究船による航海や臨海実験施設等での野外調査によって、両極域を含む国内外の様々な海域で試料採集や調査活動を行っています。
海洋微生物動態解析のための新規手法(BrdU標識法)の確立
細菌生産量の標準測定法であるRI標識チミジン法は、プランクトンの生産生態や物質循環研究には必須の手法ですが、日本では野外でのRI使用が制限されているため、船上での使用が難しい現状があります。
私たちの研究室では、チミジン法を開発したAzam研究室と共同して、チミジンアナログであるブロモデオキシウリジン(BrdU)を利用した非RI代替法の開発を行い、外洋域でも十分な感度を持つ手法として確立しました。また、細菌細胞内に取り込ませたBrdUを蛍光抗体で染色、16SrRNA蛍光染色と組み合わせ、細菌系統群別の増殖を評価する手法(BIC-FISH法)や、BrdU標識DNAを免疫分取し、活発に増殖する細菌種を特定する手法(BUMP-Seq法)も開発しました.これらの手法を用いて、沿岸域から外洋域まで様々な海域における細菌群集の動態を明らかにしてきました。国際海洋微生物センサスでは、この手法を用いて南太平洋外洋域の海水試料から活発に増殖しているが希少な細菌集団を特定し、新しいコンセプトとして“Active-but-rare” microbesを提案しています。
海洋微生物の多様性・群集構造・機能の大規模解析
現在、種名が記載されている微生物は、細菌と古細菌でおよそ1万種、原生生物でおよそ20万種とされていますが、自然環境中に生息する微生物の多くは培養が困難であるため種名が付与されていません。こうした難培養微生物を含む環境微生物群集の解析手法として、環境試料から直接抽出したDNAやRNAの塩基配列を読むことが広く行われてきました。近年、これら塩基配列解析技術の飛躍的な進歩により、地球上のあらゆる環境の微生物群集の多様性を網羅的に把握しようとする研究が進められています。
私たちの研究室では、学術研究船白鳳丸航海などにより、太平洋の全域をカバーする環境DNAサンプル(海水を濾過して微生物細胞を集めたもの)を採集し、次世代シーケンサーによる16SrRNA遺伝子の大規模解析を行っています。特に、粒子付着性(PA)と自由生活性(FL)群集を大規模解析した初めての例として、多様性や群集構造の変動機構について多くの面白い知見が得られつつあります。また、熱帯・亜熱帯海域で、比較メタゲノム解析を行うことで、PAとFL群集の機能的な違いや海域間での違いが明らかになりつつあります。こうした空間的な変動解析に加えて、微生物群集構造や機能の季節的な変動を明らかにするため、時系列定点観測サンプルについても同様の解析を行っています。
その他、好気性光合成細菌、アンモニア酸化古細菌、窒素固定細菌、アナッモクス細菌、硫化ジメチル代謝細菌など、炭素、窒素、硫黄循環に関わる特定の機能細菌群を対象とした研究も行っています。
大気ー海洋相互作用における微生物学 〜海洋から大気への展開〜
海表面マイクロ層(sea surface microlayer: SML)は、海の極表層1mm以下の厚さに相当する層を指し、大気と海洋の境界面にあたる領域です。海洋−大気相互作用を理解する上で鍵となる領域です(下図)。SMLは水中環境に比べて、様々な化学物質が濃縮され、高いクロロフィル量やバクテリア現存量が観察されます。これまで、SMLの物理・化学的な性質が良く調べられてきたのに対して微生物学的な知見は非常に限られています。
私たちの研究室では、微生物探索の新しいフロンティアとして、SML中の微生物とその活性に注目して研究を進めています。特に、SMLを介したバイオエアロゾルの生成と、その雲核生成過程への影響に注目し、微生物群集の組成と機能の変動,雲生成への寄与を明らかにする研究を行っています。気候変化の予測において重要なパラメータでありながら、これまでほとんど知見のないSMLやエアロゾルに存在する微生物群集の動態を解明し、海洋生物生産と地球環境の関わりに新しいパラダイムを提示することを目指しています。