スプーン一杯の海水
普段何気なく見ている海の中には、想像を上回るほど多くの目に見えない小さな生き物、いわゆる微生物が生きていることをご存じでしょうか? もし、今日近くの海に出かけていって小さなスプーンで海水をすくったとしましょう。そこに含まれている細菌の数は、100 万細胞にも達するのです。みなさんが住んでいる町の人口と比べてみてください。どうです、凄い数だと思いませんか? 細菌よりさらに小さいウイルスに至っては、なんと細菌の十倍つまり1000万にも達します。ほんのスプーン一杯の海水中に、東京都の人口に匹敵するくらいのウイルスが存在しているのです。海水中には他にも、光合成を行う微細藻類、アメーバやゾウリムシなどの原生動物といった多様な微生物が生息しています。それらは、その小ささゆえに普段あまり意識することのない生物たちですが、人間自身を含めて地球上に生息する動植物にとって、なくてはならない存在です。こうした微生物たちが、海洋生態系において非常に重要な役割を果たし、自然環境の持続性、地球規模の環境変動、人の健康といった近年注目を集めている問題に深く関わっていること、また未知の遺伝資源としてはかり知れない可能性をもっていることが昨今の研究によって次々と明らかになってきました。
ミクロの食物連鎖「微生物ループ」
「プランクトン」とは、ギリシア語で「漂う、さまよう」という意味のPlanktosに語源をもち、水中で浮遊生活を営む生物を指す用語です。水中で浮遊生活を営む植物を「植物プランクトン」、水中で浮遊生活を営む動物を「動物プランクトン」と呼ぶわけです。海の食物連鎖として良く知られている「植物プランクトン(光合成生産者)→動物プランクトン(一次消費者)→魚(二次消費者)」という連鎖経路は、専門家の間ではクラシカル・フードチェーン(古典的な食物連鎖)と呼ばれています。皆さんがこれまで学校で教わってきた食物連鎖は、今や古典的な概念なのです。代わって新しい概念では、従来の食物連鎖に加えて微生物によるミクロの食物連鎖が大きな役割を果たし、二つの食物連鎖がうまくバランスをとりながら全体の生態系を形作っているとされています。ミクロの食物連鎖は、1970年代にジョージア大学のポメロイによってその重要性が指摘され、1980年代にスクリプス海洋研究所のアザムによって「微生物ループ」と名付けられました。「微生物ループ」モデルは、海洋の食物連鎖に対するそれまでの概念を一変させ、海洋微生物研究の一大ムーブメントを引き起こしました。以来様々な海域で検証が行われ、今では教科書的事実として認められるに至っています。
微生物海洋学
私たちの生活に直結する有用、有害生物としての微生物については、これまでたくさんの本が出版され、みなさんも比較的良く知っていることと思います。私たちは、こうした見方とは少し違った海洋学や環境科学の視点から、微生物とそれを取り巻く環境との関係について研究しています。いくつかの技術的な限界から、「微生物ループ」を含めて海洋に生息する微生物の生態は、1990年代まで良くわかっていませんでした。しかし、2000年代に入ってから状況は大きく変化しました。分析技術の飛躍的な進歩によって、急速に理解が進んだのです。これまでの研究によって、かつて考えられていた以上に、海洋生態系における微生物の役割が大きいことや想像以上に多様な存在であることが分かってきました。私たちは、最新の手法を駆使して、スプーン一杯の海水の中で繰り広げられるミクロの世界のドラマを垣間見ることによって、海洋生態系や地球環境について理解を深めることを目指しています。
さらに詳しく知りたい方は「微生物の海」と「水圏微生物学の基礎」をぜひお読み下さい
「微生物の海」海の微生物についての読み物 (全77頁)
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「水圏微生物学の基礎」恒星社厚生閣 学部生向けの教科書