淡青丸日本海航海 KT00-14
(2000年9-10月)

 

 1996年から、海洋研究所の研究船 淡青丸と白鳳丸(お休みの時は晴海に停泊しているので、たまに「タイムレンジャー」とか「クウガ」に出てきます)を使って、多くの研究機関の方々と共同で、日本海の海洋生物の分布調査と採集をおこなっています。
 日本海は、浅く狭い海峡によって周囲の海域から切り離されていて もともと閉鎖的な性格の海ですが、氷期には海水準の低下によりほぼ完全に隔離されていました。さらに今から約7万年前から8000年前の間の最終氷期には、大陸からの大量の淡水流入のため、その大部分が還元化して、多くの海洋生物が絶滅したと言われています。こうした環境変動が、海洋生物の遺伝的な集団構造にどの様な影響を与えているかを、分子系統学の手法を使って解析するのが目的です。その目玉のひとつが、日本海の底魚の優占種であるノロゲンゲ(↓)です。

            

 この魚は、日本海のほぼ全域の水深200mから2000mの海底に住んでいるので、南北方向や水深方向の遺伝的な分化のパターンを調べる事により、過去の日本海の環境変動の地域差と、それがいかに現在のノロゲンゲ集団を形作ったのかを明らかにできるのではないかと考えています。

 過去の3回の淡青丸航海で、北海道沖から山陰沖までの17ヵ所で採集した296個体のノロゲンゲについて、ミトコンドリアDNAで最も進化速度の速い調節領域(Dループ)上流側の塩基配列を決定し、これに基づいて集団構造を調べました。その結果、日本海のノロゲンゲは、遺伝的に異なる2つのグループから構成されている事が分かりました。日本海全域に分布する遺伝的多様性の低いグループと(以下Aグループとする)と、そこから派生したと考えられる遺伝的多様性の比較的高いグループ(以下Bグループ)です。Bグループの分布は新潟沖以西に限られ、山口県沖では水深1100mまで生息しているのに対し、新潟沖では600m以浅でしか採集されていません。また、山陰沖で全個体に占めるBグループの個体の割合が最も大きくなっていました。以上の事から、最終氷期のも日本海の西方海域に、比較的環境のよい場所があり、そこに避難していた魚達が多様性を失わずに現在のBグループになったのではないかと考えられます。最近、ロシアの海洋学者らが、最終氷期最盛期の日本海でも、対馬海峡の付近では大きな環境の変化はなかったという説を唱えています。これがまさに、Bグループの故郷かとも思われますが、日本海の外側の東シナ海で最終氷期を乗り切った者達が、最終氷期後に対馬海峡を越えて、日本海に侵入したという可能性も残されています。もし東シナ海で、ノロゲンゲが今でも生き残っているとすれば、その場所は対馬のすぐ北西にある対馬船状海盆しかありません(多分)。ここは、南北に細長い窪み状の地形の場所で、最深部の水深が200m強と、ぎりぎりノロゲンゲが生息できる深さです。実は、1998年にも、対馬船状海盆の調査を計画したのですが、この時は台風のため涙を飲んでいます。と言うことで、2年ぶりに対馬海峡でのリターンマッチを、9月25日から10月2日の8日間の淡青丸KT00-14次航海でおこないました。

 

 前の週の金曜日に博多港で、積み込みの立会いをした後、週末は九州に残り、多毛類やハオリムシ類の分類や生態の研究をしている鹿児島大学の三浦知之さんの所に遊びに行きました。土曜日は、指宿砂風呂ツアー、三浦さんありがとうございました。

 博多に戻って月曜日。福岡駅で日本海区水産研究所の林さんと待ち合わせ、食料(地ビールとか)を買い込んでから、再び博多港に戻ります。

 客船ターミナル近くの洒落た雰囲気の岸壁から出港です。周りには怪しい船も。

    

 出港直後のアッパーブリッジの光景。嵐の前の静けさと言いたいところですが、今回は最後まで嵐が来ず、終始平和な航海でした。左から金沢大の地質屋さん達(塚脇さん、神谷さん、元木さん)、千葉県立中央博物館の柳さん(腔腸動物の分類の専門家です)、林さんです。

 

 

 

 

 まず、北九州・対馬間の金沢大グループの測線です。オケアングラブと言う、まさに鉄の塊という感じの道具で、海底の泥を採集します。表面の泥を取り分けて、有孔虫という生物の研究に使います。

    

                                                                                

 

 対馬の周りでは、生物用ドレッジを使って、底生生物を採集します。大量の瓦礫の中から生物を選り分けていきます(ソーティングと言います)。

 

 

 

 

 

 そしていよいよ対馬船状海盆で、ビームトロールです。細長い海盆のうち、日本の領海に属する南側4分の3の南、中央、北の3点で一回づつ曳網しました。合わせて88匹の底魚、数百匹のエビ、クモヒトデなどが採集されました。魚はビクニンやカジカの仲間などで、ノロゲンゲはいませんでした。作業に夢中になっている内に写真を撮るのを忘れてしまいました(笑)。

 

 この後対馬の日本海側を回って、福岡に向い再び金沢大の採泥が続きます。博多で研究者の乗り換え。時間(とお金)の節約のため通船でご帰還、柳さんごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 航海の後半の舞台は、島根県沖です。メインの作業は千葉大学の地震学グループの観測です。本州側から竹島に向った直線上で、海底地震計(下左)を設置していきます。

 次に同じ直線上を進みながら、海中を曳航しているエアガン(上右)を定期的に発射します。ドンと音がして、しばらくすると海面に大きな泡が浮かんで来ました。ちょっと怪獣映画っぽい光景で感動! 振動が海底を伝わっていく様子を地震計で記録します。

 

 

 

 

 最後に地震計の回収です。船から 音波で合図すると、取り付けられた錘を切り離して、浮上してきます。内蔵されたコンピュータに記録された、地震のデータを分析する事で、海底の構造が分かるのです。

 本航海最後の観測は、金沢大のピストンコアによる海底堆積物の採集。数メートル分の堆積物を柱状に切り取って来る優れものです。錘の下に柱状のコアと着けた構造になっています。上の書いた、ロシアの研究も、こうしたコアサンプル中の微小な化石の分析によるもの。

 ピストンコアを海中の下ろします。重量物なので、総出の作業です。

 

 

     

 無事、海底から堆積物を採集して戻ってきました。コアの中から塩ビのインナーチューブを引き出して、輸送用に切っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 以上で、本航海の全作業が終了。船は帰港地の下関に向います。

下関で、淡青丸はドックに入って、暫しの休養です。


 

 

 今回の調査結果から考えると、東シナ海にはノロゲンゲは、(すくなくとも現在は)生息していないのかもしれません。一方、その筋の情報によればオホーツク海で最近、ノロゲンゲが採集されているとの事です。日本海とオホーツク海のノロゲンゲは今でも、交流があるのでしょうか? それとも、最終氷期以前から隔離され、独自の進化の道を歩んでいるのでしょうか?

 さあ、次はオホーツク海へチャレンジ!

 

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